野口悠紀雄Online 特別企画

最終講義(その1)


 皆さん、お忙しいところお集まりいただき、ありがとうございます。

 この最終講義の機会をつくっていただきました児玉教授と藤井教授に御礼申し上げたいと思います。また、先端研の皆様方、事務の方々にも御礼申し上げます。

 一番前の席があいています。後ろの方は大分混んでいますので、どうぞ前にお詰めください。私は前があいていると話しにくいので、いつも講義のときには一番後ろの人は指すことにしています。(笑)きょうは指しませんけれども。どうぞ前にお詰めいただきたいと思います。

 きょうの話のタイトルは「日本は二一世紀に生き残れるか?」という大変センセーショナルなタイトルにしてあります。実は先日、ある方から、結論はどちらなのか、生き残れるのか、生き残れないのかと聞かれたわけですけれども、そのときは、答えを決めてからタイトルを決めたわけではありませんので、当日までに考えておきますと言っておいたのですが、先ほどまで考えていたんですけれども、まだ結論が出ておりません。出たとこ勝負でお話をしたいと思います。気分によって結論が変わるということも場合によってはあるかもしれません。

 まず最初に、日本を取り巻く諸国の一人当たり国民所得のことをお話ししたいと思います。一九九〇年、今から約一〇年前ですが、このときのイギリスの国民所得が一万七〇〇〇ドルでした。シンガポールが一万三〇〇〇ドルだったんですね。この数字は我々日本人の多くの人間の常識に合った数字ではないかと思います。アジア諸国はかなり豊かになってきたけれども、まだヨーロッパに比べると貧しい、こういうことをあらわしているわけですね。これは一〇年前の数字です。

 ところが、それからあと一〇年間に非常に大きな変化がありました。一九九三年にシンガポールはイギリスを抜いた。つまり、かつての植民地が本国よりも豊かになったわけです。それだけではありませんで、シンガポールは一九九五年にはアメリカを抜きました。一九九六年には実は日本も抜いてしまった。そういう大きな変化がアジア諸国で生じています。

 こういうことをお話ししますと、これは統計の数字だけの話ではないかと、こうおっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。実体は違うのではないかということですね。しかし、皆さんもよくお考えになれば、これが実際の世界をあらわしているということを納得されると思います。それは、例えば皆さんイギリスに旅行されて、ロンドンでホテルに泊まりますね。ロンドンには昔から由緒ある立派なホテルがたくさんあります。リッツとか、サボイとか、クラリッジズとか。そういうホテルは非常に堂々としたホテルなんですけれども、しかし、中に入ってみますと、部屋の窓があかないとか、風呂の栓をひねってもお湯が出てこないとか、エアコンが壊れていて冷房がきかないとか、そういう経験をされた方が多分多くいらっしゃると思うんです。私もそういう経験をしたことがあります。つまり、イギリスは過去の豊かさを維持できるだけの経済力をもはや持っていないと言うことができると思います。

 ところが、その反面で、例えばシンガポールに行って、新しくできたホテルに泊まりますと、これはまさに腰を抜かさんばかりの立派さです。夢の国にいるのではないかと思うときもあるんですけれども、こういう経験をなさった方は、先ほど言いましたシンガポールがイギリスよりもかなり豊かだということは納得されると思います。

 問題は、なぜアジア諸国がこのように成長したかということです。その答えは、製造業の輸出産業が成長したからなんです。我々は学校のときに社会科でシンガポールとか、香港という国は中継貿易の国だと習ったわけですね。確かに中継貿易は今でもやっていますけれども、中継貿易で豊かになったわけではありませんで、製造業が発展したというのがアジア諸国が豊かになった基本的な理由であるわけです。これはシンガポールだけの話ではありませんで、香港、台湾、韓国、こういう国に共通する現象です。今申しました四つの国、あるいは地域、つまりシンガポール、香港、台湾、韓国、これらはしばしばアジアNIEs(新興工業化経済群)と呼ばれます。

 これらの四つの国、あるいは地域はいずれも過去一〇年ないし二〇年の間に急成長しました。急成長した基本的なメカニズムはどこも同じであって、製造業が発展したからです。この結果、アジアNIEsは現在世界をリードする代表的な工業国になっています。例えば台湾でおととし大地震がありました。このとき世界が何を心配したかといいますと、パソコンや半導体の値段が上がるのではないかということです。ということは、台湾のパソコンや半導体の生産というのは、世界経済に影響を与えるほど大きなものになっている。台湾のパソコン生産というのは世界一ですけれども、それほどのウエートを占めるようになってきているということですね。

 あるいは韓国ですけれども、韓国の鉄鋼業、造船業、これらの生産性は日本を既に上回っているわけです。輸出市場でも日本がこれまで世界一の地位を占めていたものが韓国にとってかわられると、こういうことになっているわけですね。現在、日本の製鉄業にとって一番大きな課題は、韓国に追いつくということです。

 自動車もそうでして、世界中のあらゆる町には韓国製の自動車があふれ返っています。例外は日本だけで、これは特殊な事情があって輸入していなかったんですけれども、しかし、この状況も今後急速に変わってきます。

 このように日本を取り巻くアジア諸国で非常に大きな変化が起こっているわけですが、重要な点は、これが今申しました四つの国だけの話ではないということです。NIEsというのはアジア諸国の中では最も先進的な部分なんですが、それに続く諸国、まずアセアン、つまり、タイ、インドネシア、マレーシアが工業化に成功しました。これらの国は今や熱帯の発展途上国ではないんですね。工業国です。例えばマレーシアのテレビの生産は世界一ですし、マレーシアに行って、クアラルンプールが近づいてくると、マンハッタンのような高層ビルが林立しているところに来ます。こういう状況です。

 それだけではないんです。第三のグループとして、中国が工業化に成功したわけです。中国が工業化して日本との間を縮めてくるというのは、日本にとって一大事であるわけです。中国というのは人口が日本の一〇倍ぐらいの大きな国ですから、そういう国が日本に近づいてくる。しかもこれらの国々がやっていることは、すべてNIEsと同じです。つまり製造業の輸出産業なんです。これは日本のお家芸だった分野です。日本は高度成長で豊かになり、世界をリードする国になったわけで、これは製造業の輸出産業が成長したからですね。その分野にアジア諸国が追いついてくる。こういう変化が過去一〇年ないし二〇年の間に起きています。

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